昨年、父と見た桜から

P1010037昨年、父と一緒に見た桜が気になって行ってみた。3月29日というのに、もう散りつつある。あの時、父に「桜見に行く?」と言うと「うん、おばあさんも行く?」と言うので、母に聞いてみたが「行かん」と素気ない返事。自分の事しか興味のない母です。父は、桜に感激し桜の花びらを拾い集めティシュでそっと包んで「おばあさんに持って帰る」と言った。父は、晩年このような優しさを見せた。このような父と母を見て私は、「幸せなのかな」といつも疑問に思っていた。

取り残された母は、父の暴言に振り回され買い物依存症となり、父の預貯金を使い果たした。母は、年金で充分暮らせる額を手にしているが、「こんな額で暮らせるのかな」と不安を募らせている。私は、母がお金を使い果たして「ない、どうしたらいい?」と言うのではないかとビクビクしています。母の財務管理をすべきなのでしょうが、母に、お金の大切さとみなさんがコツコツ生活していることを学んでほしいと思う。また、管理をされて「なんで私がこんなことされる」と心に憎悪等のマイナス因子を持たせたくない。

私は、不安を抱えながら、母を見守る。

 

平成25年3月18日 朝日新聞朝刊       こんな取材初めて!

 「生い立ちから聞かせてください」と取材依頼の連絡を頂き、驚きました。

 私に興味を持っていただいたことに感謝です。

 取材によって自分自身の振り返りができ、

 今後の活動の方向性も明確になるという、機会となりました。

 自分のことを伝える難しさ、もどかしさを学びの時間となりました。

 稲野さんには、心より感謝しております。

平成25年3月18日 朝日新聞   このような取材はじめて!

私にとって仕事とは

抑圧・閉鎖的な環境で育った私は、社会に出て仕事により自分に気づき始めました。

私の育った家庭には「ありがとう」「ごめんなさい」は存在しませんでした。短大を卒業後、就職。ただただ、素直に上司の指示に従い一生懸命、仕事を習って覚えた。この職場で「ありがとう」とたくさんの言葉をかけてもらった。その「ありがとう」が私も生きていていいんだと気づかせてくれた。認めてもらえることが私にもあったのです。仕事は、私自身が自分を取り戻すきっかけとなりました。

私のとって仕事は、自分を取り戻すきっかけとなったこともあって、生きがい・生きる張りとなりました。成し遂げた達成感、人のためになっているという存在感、人の喜ぶ顔、人の成長を喜び共有できること等々、たくさんの生きる喜びを私は仕事を通して学びました。

今、私はNPO法人を立ち上げ、生かされた喜びを恩返しさせてもらっています。

ある研修で「あなたにとって仕事とは」と講師から質問されました。私以外の方は、「生活」「お金」と最後に答える私はやっぱり「生きがい・生きる張り」と・・・皆さんとの意識の違いに驚く。どんな仕事でも、「できるかな?」と少々不安を抱えながらスタートします(だって完璧なんてない)が、どきどきわくわく自分との闘いを楽しむようになります。終了後の達成感、残された課題・反省と向き合い自分を知ることも自分へのプレゼントとして楽しみます。

NPOの仲間にも、私と同じように仕事を捉えている人がいて、「私の仕事に対する考え方はちょっとおかしいのかな」という思いを吹き飛ばしてくれました。

私を取り戻す事を気づかせてくれた「お仕事さん」 ありがとう!

 

 

平成24年11月4日 父が他界しました

7か月の入院生活でした。母と毎日、記憶の薄れる父の病院に通いました。

とてもきれいな最後で、母が最期にかけた言葉は、「お父さん、本当にありがとう!」でした。 その言葉に涙が流れました。父の暴言に私たち家族は、怯えて過ごしました。家族はそれぞれ自分を守るのに精一杯でした。父は、母の生活は守ってくれました。けれど、母は買い物依存症で、葬儀のお金さえ残っていません。しかし、最後の母の言葉に救われました。

父とは、このような環境の中、私とよくぶつかりました。姉と母は、父の言われるがまま。私は、暴言で荒れ狂う父の姿を見ながら、こうであってはいけないと自分を確たるものしていきました。しかし、親子で私は、父が好きでした。だから、私の50年という時間を父と解り合いたいと努めました。努力をすればするほど、それは大きな痛手となり深く心をえぐりました。

わからない事はわからないのだと、父は教えてくれました。こうでなければいけないという私のものさしは通用しないことを知りました。

この父と母がいたから、今の自分があります。

今の自分を大好きになるには、長い苦悩がありましたが、今は大丈夫。

それも、これも父と母がいたからです。

感謝しています。